HP始めました!
こんにちは。ここは中川清志のオフィシャル・ホームページです。
ちょっと、僕の死生観というか
強烈に覚えている体験談のおはなしをします。
僕が小学校の低学年だった頃、当時はこのあたりにもノラ猫がいっぱいいて、よく子猫も外で見かけて、それでその一匹を拾ってきたんです。「うちは動物病院だしなんとかなるか?」という甘い考えで。
それで獣医師である母にお願いしたんですが、どういういきさつかは忘れたんですけど、どうしても飼えないってなって、母に、持ってなさいよ、って言われるまま、僕が、手の中に子猫を持ってたら、母が注射をピューっとして、そしたら、手のひらの上で、スーッと死んでゆく。さっきまでの動きが止まって、静けさだけが訪れて。
そのとき、僕と母の間でどんな言葉が交わされたのかも覚えてないんですが、その体験は、鮮やかに保存されてて。生死っていうような哲学的な概念を知る前に、ピューっ、と、スーッ、を、ただただ手で感じてて。
実は、いまでも自分ではその意味を把握してなくて、ただ、あのあっけなさだけが心のなかで、宙に浮いてる感覚で。
死ぬんだな、っていうのと、よくわからない、ってのが同時にあって、要はさっきまで動いてたものが、動かなくなるんですよ。それがどういうことなのか、いまだにわからないんですけど、その直前まで動いてて、ピーピー泣いてて、いろいろ要求してたのが、ある一点を超えると、まったくなにもしなくなっちゃうんですね。もう心臓も動いてなくて、なにも動かなくなるし、動かない、ってのがいちばん強かった…。
で、拾ってきたばかりの子だから、その場では悲しいんだけど、魂を半分とられて、翌日学校に行けなくなるほどではなくて、だけども、ほんとに…、わからない…。
そして、今は、結局、死ぬんだな、思っています。だから、死に際に、ジタバタ後悔しても、始まんないんですよ、もう。
そしたら、良く死ぬためには、良く生きるんだ、って思うようになってて。いまやることを精一杯やっておけば、死をむかえるとき、それでも後悔はするんだろうけど、少なくとも減るんじゃないかなって、思ってて、そのへんは、ずっとつながってるんですよ。
中川 清志(なかがわ・きよし)