19年12月議会での質問です。
9月に引き続き、若齢者の自殺問題についてお伺いしています。
市の子どもたちに向けて、市長及び教育長の死生観、あるいは10代の自殺率が高いことに対する認識をお聞かせ下さい。
とお願いしたところ、丸山市長も、木村教育長も、死生観、生命観、生命尊重に関するお考えを、子ども達に対し率直にお示し下さっています。
先ず、そこから引用します。
市長
なお、質問の中に、死生観、それから生命観というお言葉がございました。
私も医師として、それから東京都の児童相談センター長として、行政職員として、そしてまた現在人の命にかかわりを持つ道を歩んでまいりました。
その中で申し上げますと、若い世代の命の問題として、ただいま触れた自己肯定感、いわゆるセルフエスティームを身につけることが大切であると、そのように考えております。
この自己肯定感は、家庭、学校、地域などあらゆる場面で社会の一員として感じることができると言えますが、とりわけ乳幼児期の安全基地としての家庭の役割は大きいと考えております。
また、本市の子ども条例の前文にもありますが、失敗や間違いをしてもやり直し、成長できるという点、子どもの心理的ないわゆるレジリエンス(復元力)は、一般に大人のそれよりも強いと言われていますが、私も潜在的な子どものその前を見る力というものを信じております。
そのような子どもの折れない心を地域で育むことができる世界に1つしかない、かけがえのない命を大切にする、そのような子どもにやさしいまち、地域づくりを市民の皆様とともに進めてまいりたい、そのように考えております。
教育長
生命の尊重についてお答えいたします。
私の児童生徒に向けたメッセージといたしましては、命はかけがえのないものであること、人生は一度しかないこと、この2点について、全児童生徒に理解させることが重要であると考えております。
このことについて、私は、校長在職時の全校朝礼におきまして、山本有三の小説「路傍の石」の中で、主人公の吾一少年に学級担任が語った「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」という言葉を取り上げて話したことがありました。
質問
警視庁の自殺統計に基づきますと、平成15年に最多の3万4,427人の自殺者を記録し、その後平成18年に自殺対策基本法、平成19年には自殺総合対策大綱が制定されています。
平成21年までは自殺者数は横ばいですが、その後減少に転じ、昨年平成18年は2万840人となって、37年ぶりに2万1,000人を割り込みました。
10万人当たりの自殺者数を自殺死亡率と定義しますが、平成15年の27.0人をピークにして平成21年から低下が始まり、昨年は統計をとり始めてから最少となる16.5人まで減少しています。
それでもG7の諸国の中では高いほうです。
この間文部科学省も、平成21年に「教師が知っておきたい子どもの自殺予防」、そしてその後「子供の自殺が起きたときの緊急対応の手引き」、「子供に伝えたい自殺予防」と一連のガイドラインを策定しまして、子どもたちの自殺を減らすための努力を続けています。
しかし、年齢階級別で見ると、40歳代、50歳代、60歳代以上はピーク時から大幅に低下をしていますが、20才未満は平成10年以降横ばいです。
特に10歳から19歳の自殺死亡率は約5.0人ということで推移をしています。また、20代、30代においても、ピーク時より低下はしていますが、高いまま推移しています。
近年、各年齢階級における死亡原因は、10歳から39歳まででは、いずれも自殺が第1位となっています。
特に平成29年からは10歳から14歳、この5歳のところの年齢階級では、死亡原因の第1位が自殺となっています。
2018年に行われた日本財団の研究、「いのち支える自殺対策プロジェクト」、第3回自殺意識調査報告書によれば、我が国の若年層について半数程度が、残念ながら「正直者がバカを見る」、「希望が持てない」などと日本社会に対するイメージが悲観的です。
4割を超える者が「自殺をしてはいけないとは考えていない」そうです。
また,自己効用感が低く、4分の1が本気で自殺を考えたことがあり、1割の方は自殺未遂経験があると報告されています。
自殺を考えた、または自殺未遂を経験した原因としては、学校における問題、特にいじめが大きな割合ということが報告されています。
その中でも、不登校経験のある方では有意に自殺を考えたり、自殺未遂を経験したことが多いということも示されています。
一方、転校を経験した人は、これらのリスクが有意に低いこともまた報告されています。
すなわち1つの学校空間に過度に取り込まれたりとか、1つの学校にとらわれて不登校になっているという状態よりも、所属先を変えた方が自殺のリスクを下げる可能性を示唆しています。
また、孤独感も自殺に対して悪影響を与える一方、幸福を感じることが自殺の予防につながる可能性を認めています。
地域での趣味や娯楽の活動に加われることや社会参加をすること、家族や友人から褒められたり感謝されること、周りから認められることも、こういう日常的な幸福感を高めることが有効であると報告されています。
以上が我が国の現状認識ということになります。
その中で、西東京市の状況ということになりますが、現在パブリックコメントを募集しております「西東京市生きる支援推進計画」の素案によれば、平成25年から29年まで、10歳代から30歳までの年代別の死亡原因、死因順位の第1位がやはり残念ながら自殺ということになっています。
厚生労働省の人口統計調査に基づく自殺者数の推移によれば、本市においても、平成21年から平成30年まで10年間で9名、20歳未満の方が自殺をされています。
一言で9名という数字、9という数字になってしまいますけれども、その人たちには当然親御さんもいたでしょうし、兄弟もいるかもしれませんし、祖父母もいたかもしれないし、当然お友達もいるだろうというふうに思います。
9月議会でも述べさせていただいておりますが、私も父の自殺を経験いたしました。
ただ、不幸中の幸いというか、私は父よりも長生きをすることができたんですね。
基本的にそんなに親孝行な者ではなかったですが、長生きできたのは親孝行じゃないかなというふうに思っています。
ただ、そうはいっても、前もお話ししたように、自殺の前の日とか、その日出勤していないという話を聞いたとき、遺体を青梅のほうの警察署で最初に見たとき、これはやはりかなり印象に残っています。
またおととし、これは自殺じゃなくて不慮の事故ですけれども、大学からの親友が一人、山梨に滝登りに行って、彼はフェイスブックに写真を上げていたんですよね。
滝の上から滝つぼの写真を撮って、そうするとフェイスブックですから、みんなが「ああ、いいね。もっといい写真撮ってよ」なんて話を上げる人もいて、それでそんなことをやっているうちに彼はおっこちちゃったんですよね。
不慮の事故で亡くなってしまって、やっぱりこれも、「危ないよ」ってみんな言っていたのは言っていたんです。
一人で滝登りですから、それは危ないわけですよ。そういう中で、もっと強く「だめだよ、危ないよ」とかと言えばよかったのかなんていうことを、これはいまだに、もう2年たちますけれども、やっぱり胸がすごくうずく経験であります。
これがもし自分より若い人とか、自分の子どもとかと考えると。
僕の最初の結婚のときの子どもがもう24歳です。孫が生まれてもそろそろおかしくない年齢になのですが、そういった子たちが何かのきっかけで自殺してしまう、また,友達が自殺してしまう,この様なことを考えると、本当にこれは想像を絶します。
市の子どもたちに向けて、市長及び教育長の死生観、あるいは10代の自殺率が高いことに対する認識をお聞かせ下さい.
次に、児童生徒を支えるための地域コミュニティのあり方、広げ方について、市長にお伺いします。
市長答弁
自殺対策についてお答えします。
本市におきましては、昨年度より全ての地方公共団体が策定する地域自殺対策計画として位置づける生きる支援推進計画の策定を進める中で、庁内48課・局を対象に、市民の皆様の生きる支援につながる事業の洗い出しを実施するなどとあわせて、若い世代の自殺率の動向にも注視しているところでございます。
未成年の皆さんは、抱える悩みが多様で、子どもから大人への移行期に特有の大きな変化があり、それぞれの段階に合った対応や対策が求められると認識しております。
さらに、制度のはざまにある方、御自分で相談に行くことが困難な方などを、地域の中で早期に発見し、支援につながれる仕組みを充実させ、地域並びに関係機関と密接に連携していくことが大切であると考えております。
今後も個人の問題が要因となって発生する自殺について、周囲から支援の手が差し伸べられることで、自己肯定感、信頼関係などが生まれる健康な地域づくりを目指してまいります。
なお、質問の中に、死生観、それから生命観というお言葉がございました。
私も医師として、それから東京都の児童相談センター長として、行政職員として、そしてまた現在人の命にかかわりを持つ道を歩んでまいりました。
その中で申し上げますと、若い世代の命の問題として、ただいま触れた自己肯定感、いわゆるセルフエスティームを身につけることが大切であると、そのように考えております。
この自己肯定感は、家庭、学校、地域などあらゆる場面で社会の一員として感じることができると言えますが、とりわけ乳幼児期の安全基地としての家庭の役割は大きいと考えております。
また、本市の子ども条例の前文にもありますが、失敗や間違いをしてもやり直し、成長できるという点、子どもの心理的ないわゆるレジリエンス(復元力)は、一般に大人のそれよりも強いと言われていますが、私も潜在的な子どものその前を見る力というものを信じております。
そのような子どもの折れない心を地域で育むことができる世界に1つしかない、かけがえのない命を大切にする、そのような子どもにやさしいまち、地域づくりを市民の皆様とともに進めてまいりたい、そのように考えております。
教育長答弁
生命の尊重についてお答えいたします。
私の児童生徒に向けたメッセージといたしましては、命はかけがえのないものであること、人生は一度しかないこと、この2点について、全児童生徒に理解させることが重要であると考えております。
このことについて、私は、校長在職時の全校朝礼におきまして、山本有三の小説「路傍の石」の中で、主人公の吾一少年に学級担任が語った「たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」という言葉を取り上げて話したことがありました。
現在、各学校においては、学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育において、命の大切さや人間としての生きる喜びを実感として捉える教育活動を行っています。
具体的には、特別の教科道徳はもとより、総合的な学習の時間や各教科、特別活動等において、生と死や命にかかわるテーマを立て、命の教育に取り組む必要があります。
教育委員会といたしましては、引き続き生命尊重教育の推進に努めてまいります。
死生観(”死”を先に書くのですね)と子どもに向けてのことばを,丸山市長,木村教育長にお答えいただいたことについての,私の意見です。
死生観のところに関して、市長と教育長と非常に答弁しづらいところをお答えいただきましてまことにありがとうございます。
大人がやはり話すことが必要だなというふうに思うことの1つです.
少し古い話になるんですけれども、平成16年6月、長崎県佐世保市の小学校で起こった悲惨な少年事件というのは、もしかしたら皆様記憶にあるかもしれません。
長崎県教育委員会の報告書があるんですけれども、そういったものを見ますと、家庭裁判所の審判決定要旨によると、加害児童は自己の経験や共感に基づいた死のイメージが希薄であるとされ、県教育委員会はほかの子どもたちについてもそういったことを危惧して、同年11月から12月にかけて県内の小学4年生、6年生及び中学2年生、合計3,000人を対象に生と死のイメージに関する意識調査というものを行っておられます。
その調査の中で、「死んだ人が生き返ると思いますか」という問い。小学4年生が14.7%、6年生が13.1%、中学2年生は少しふえます。18.5%が「はい」というふうに答えています。
そういうふうに「はい」と答える要因は恐らくいろいろあると思います、実際。単純にテレビゲームとかそういうことではないでしょうし、我が国はもともと輪廻転生なんて思想もありますし、いろんな背景があると思うんです。
ただ、その結果をいろいろ踏まえた上での考察になりますが、死の認識について、直接的な経験がなく、周囲の情報により影響されていることということが指摘されております。
これらを踏まえて、これは手前事でございますが、文部科学省と日本学術会議、そして日本獣医師会なんかが協力して、平成20年改正の学習指導要領解説に学校飼育動物の意義を明記させていただいておりますし、また愛着を持った相手の死を経験することの意義については、せんだって議会で教育長からも御答弁いただいたりしているところでございます。
ただ、その死に対する認識というのは、現在もっと難しくなっているかなというふうに思うんです。
御存じかどうか、ジェームズ・ディーン、非常に有名な俳優さんがことしハリウッドで新作に出演しています。
また、日本においても、ことしの紅白に美空ひばりさんが、秋元康さんが作詞、プロデュースした新曲「あれから」という歌で出場されるそうです。
これはAIでつくったジェームズ・ディーンさんだったり美空ひばりさんだったりするんですが、そのAI美空ひばりというのをNHKスペシャルでやっていたんですけれども、見たおばあさんたちが感激して涙を流すんですね。
受け答えもまるで美空ひばりさんみたい。要は、死んでしまったはずの方を技術で生き返らせてしまっているんです。
これはもうほとんどSFの世界ですよね。昔からSFに自分の脳の中身を電脳世界に移してなんていう話はよくあります。
それで死んでいるのか生きているのかわからなくなってしまう。こういった時代が実際に来ていますし、非常にその中で、自殺をしてはならないというふうに考えない子たちが多い中で、何か失敗をしたとき、狭い空間で、恥ずかしいな、もういいやと思ってしまう可能性がもしかしたらあるかもしれないということを思います。
その中で、教育長がおっしゃっていた山本有三さんの「路傍の石」、吾一、次野先生という担任の先生とお話をしている中で、吾一の「吾」という字は、いわゆる「われ」なんですよね。
われは一人という、あなたは一人しかいない,というところに続いて、先ほどの教育長の感銘を受けたという言葉につながっていきます。これはやはりすごく大事なんですよね。
あなたは一人しかいないんだよと。あなたはすごく大事なんだよというのを周りが言っていくというのは、やはりすごく大事なんだろうというふうに思います。山本有三さんの記念館がジブリのある三鷹のほうにあるので、まだ行ったことがなかったので、これをお伺いして、行かなきゃなというふうに今思いました。
子ども達に向けた言葉について,市長がおっしゃっていただいた復元性ですよね。
失敗してもいいんだよというところはすごく大事なんだろうというふうに思います。
市長も教育長も、いわゆる”師”がつくお仕事でございましょうし、いわゆる無謬性ですよね。それは非常に要求されるところだったと思いますが、そういったものは非常にやはり危険なことがあるんじゃないかというふうには思います。
ただ、社会は実はなかなか失敗することを認めていないんじゃないかというふうな印象を持つことがあるんですね。
その中でやはり、本市においては子ども条例の中でもそういったことを書いておりますし、今、また市長からもそういった言葉があったわけです。ぜひ、人は失敗するんだよと。
大人でもそれは失敗するわけですよね。
僕も臨床に出て24年ぐらいたちますけれども、やっぱりいまだに、ああすればよかったかなとか、こうすればよかったかなと思うことはすごくある。
そういったことを大人がしゃべっていくということはすごく大事なんじゃないかというふうに思っております。